「よし、未来のオリンピック選手たち、今日はここまでにしよう」
五郎が声をかけると
「<目標めざして努力します>ありがとうございました」
と、生徒たちが頭をさげました。
南国の太陽がふりそそぐ小さな学校の課外授業で、柔道の練習が終わりました。
「ガネーシャ、いっしょに帰ろう。お父さんに話がある」
食用作物と青少年活動担当の青年海外協力隊員としてこの国に来てから一年半、五郎の任期も先が見えてきています。
長い間の内戦で荒れてしまった村の立て直しに、五郎も一生懸命に働く人々を助けました。しかし、村人の暮らしはなかなか楽にはなりません。
村の指導者の一人であるガネーシャの父親は五郎の良い相談相手でした。
「今日は、新しい作物の提案があってまいりました」
五郎の言葉に
「ほう、それはありがたい。聞かせてください」
と、父親はほほ笑みます。
「いま、作っているのはサトウキビ、ウーロン茶、ジャスミン茶などですが、思うようには収入が増えていませんね」
「そう、この作物でこの収入なら、これで当たり前なんだろうが、みんなの記憶にはケシがあるからねえ」
戦争中に栽培したケシは、果実からとれる乳液が麻薬の原料になり高値で売れたのです。しかし、いまでは国際的に取引禁止になっているケシはもう作れません。
「この間から考えていたのですが?。コーヒー生産国は、熱帯、亜熱帯をめぐるコーヒーベルトを形成して、生産量第一位のブラジルから太平洋を越えて東南アジアまで伸びています。一足先にスタートした近隣のベトナムは大成功して、今では世界で二位、三位を争うコーヒー生産国になっています。この村でもやってみる価値があるのではないでしょうか」
「面白いお話だが、ここでコーヒーの木が育つかな」
「ここは熱帯モンスーン気候で、雨季と乾季があり、昼夜で寒暖差が大きく、火山灰を含む土壌をもつ高地です。条件は揃っています。試してみる値打ちはあると思っています」
「なるほど。しかし、うまくいったとしても一から始めるわけだから、木が育ち、果実が成り、収穫できるまで相当な年月がかかるだろう?」
「はい、少なくとも三、四年は必要でしょうね」
「その間、収入にはならない。それでは暮らしがもたないよ」
「おっしゃるとおりですね。もう少し考えてみます」
翌日の柔道練習後、五郎は生徒たちと散歩に出ました。
あちこちに花が咲いています。
「ガネーシャ、あの花の名前は?」
ガネーシャは答えましたが、五郎には聞き取れません。
「日本語ならアジサイだな」
と、五郎は思いました。
「そう日本語なら、あれはヒルガオ、あれは花ショウブだ」
水辺ではハスもスイレンも咲いています。
近くのニラの白い花からイチモンジセセリが盛んに蜜を吸っています。
それに気づいて目をこらすと、たくさんのチョウが舞っています。キシタアゲハ、アサギシロチョウ、ムラサキシジミ、ルリマダラ、来たばかりの頃熱心に図鑑で調べたチョウたちが花を訪れています。
ここは一年中なにか花が咲いている。蜜源があるということだ。
「そうだ!うまくいくかもしれない」
五郎は思わず声をあげました。
「先生、何がうまくいくのですか?」
ガネーシャがたずねました。
「ミツバチを飼うんだ。この村でね。コーヒーの木が育つのを待つ間も、ハチミツが収入になる。ガネーシャ、お父さんに会って話そう」
それから五年後?。
ガネーシャは村の高みから一面に広がるコーヒーの木畑を見まわしました。コーヒーの木はいま白い花の盛りです。ジャスミンに似た香りが立ち込めています。ミツバチがさかんに飛び交っています。
「今年も豊作が見込めるな。コーヒーもハチミツも」
ガネーシャの顔に笑みが浮かびます。ベンチに腰を下ろすと今朝受けとった手紙を読み返しました。帰国後、農業大学の准教授になった五郎からの手紙です。
『ガネーシャ、うれしいお便りをありがとうございました。<オリンピック柔道で世界のトップに立つ夢は叶わなかったけれど、ロブスタ種コーヒー豆とコーヒーハチミツで世界一を目指します>という言葉に感動しました。コーヒーの花からのみ採蜜したハチミツは色、風味とも独特で希少価値もあります。ぜひ栽培を全国にひろげて品質・生産量ともに世界一をめざしてください。さて、今日の便りは留学の勧めです。ガネーシャ、あなたの夢を実現するためにも、もっと勉強しコーヒーの木や養蜂を専門的に研究しませんか。日本に来る気があるなら、受け入れ態勢を整え、奨学金受給申請の手続きもします。父上とも相談され、前向きな姿勢をお示しくださるよう期待しています』
ガネーシャは思いました。
五郎先生は種を蒔く人なんだな。ぼくは柔道の芽を育てられなかったのに、ちょっと格好をつけて世界一を目指しますなんて言っちゃったら、いきなり留学だって、今度はびっくりの種だ。でも、これを捨ててしまうのはもったいない。がんばるしかないな。返事を書くぞ。
「五郎先生、ガネーシャは日本へ行き<目標めざして努力します>」