喜寿
菊枝さんが喜寿を迎えた。
77歳と言うことだ。とても長い年月だね。
本人にとっては、いつの間にかそうなっていたということだろうが、
この間に色んな事があった。
菊枝さんの77年を大きく二つに分けてみよう
最初の27年間とその後の50年間だ。
誕生からの27年は、
いわばホップ、ステップの時代だ。
誕生→成長→結婚の、ホップの子供時代。
妻→出産→母の、ステップの大人になる時代。
ここまでを併せて京都時代と呼ぼう。
それから、ジャンプの50年に入る。
すなわち横浜時代だ。この時期に菊枝という人が出来上がる。
この期間も大きく二つに分けられるだろう。
前半と後半、具体的には公文の時代と趣味の時代だ。
前半は子育てと仕事との二刀流だった。流派は元祖菊枝流。
それが結構うまくいった。大成功と言っていい。
子供たち三人はまともに育ち、社会に出ても問題なく
それぞれに家庭を持ち、順調な人生を歩んでいる。
4人の孫にも恵まれて、楽しい経験をさせて貰い
それは今も継続している。
悩みの種というものは、我が畑に蒔かれたことが無い。
誠にありがたいことである。
公文の仕事は、外形しか知らない。
踏み込んだ批評など出来ようはずがない
ただ、言えるのは、
子供たちの教育に関わる有意義な仕事でよかった
その仕事を遂行することで、菊枝本人も大いに成長した
ということだ。
しかも、それが財産となって、今なお
菊枝さんを潤している。近所で出会う誰彼が、
もう20年も前の教室の関わりで、挨拶し、話しかけ
気持ちの繋がりを示してくださるのは、凄いことだ。
多くの卒業生を持つ正規の教員と同じなのだ。
公文という組織、仕事の進め方、事務局とのやりとり等を通じて
菊枝さんは世の中を知り、社会人としての人を知り
教室に来る親たちとの懇談で
世の親と子の有り様を知り
長く付き合える友も得た。
教室が学びの場として成功するには、
安定した経営が大切と見抜き
有能な助手を招き、育成し
八畳一間の小教室で希に見る繁栄を導き、
全国各地へ、教室指導の講師に招かれた。
生徒数で集積される生涯年金も得た。
その場からの退場も鮮やかだった。
頂点で、惜しまれつつ去る
引き際の美学で人が評価されるなら
それを実現した。大勢に送別されて
笑顔の引退であった。孫の世話という
表の理由の背後に、ふと感じた老いが
あったという。その自覚がいい。
それからが、いよいよ趣味の時代である。
孫の世話との二刀流、とはいえ
両親が揃った孫の世話は、傍流である。
本流は、声楽と朗読だろう。
良い先生と良い仲間に出会えて
またまた素晴らしい世界が広がった。
しばらくは「第九」の合唱があった。
NHKホール、国際フォーラム、国技館等
彼方此方で歌った後に、
大阪城ホールの「1万人の第九」に到達した。
多分、規模から言って世界でも随一の「第九」だろう。
ここで何度か歌えば、卒業も肯ける。
シャンソン、カンツォーネ、歌曲
いろいろ歌ったが、結局のところ
落ち着いたのはオペラのアリア。
ソプラノ・ソロで歌うのが一番楽しいと知った。
誰もが知る名作オペラのヒロインのアリアを
舞台の中央で何度独唱したことか。
朗読も、アナウンサー調ではなく
ドラマチック調指導の先生に
巡り会って、大いに楽しめたね。
これまた何度も舞台に立てた。
小学生への読み聞かせも続いている。
77年のうち50年を横浜で過ごした。
しかし、その半分しかない京都時代が、
横浜時代と同等以上に重みを持っている。
京都の土台の上に、横浜でのジャンプがあった。
77年を通して、京都弁で過ごした
横浜在住の京都人が迎えた喜寿
おめでとうございます。
2022.8.25
玉手箱インデックスに戻る